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プロフィール

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夫婦関係修復アドバイザー。弁護士(H5年司法試験合格)。

コスモス法律事務所副所長。家庭裁判所調停委員、簡易裁判所調停委員等歴任。埼玉県在住。

<弁護士になった経緯>

あれは、小学校1年生頃のことでした。近所のガキ大将の男の子が、手下の男子に命令して、ある女の子から、買ってもらったばっかりの赤い自転車を取り上げて、勝手に乗り回していました。女の子が何度も「返して」と言っても、ガキ大将は無視して返しません。とうとう女の子は泣き出してしまいました。

それを、はたから見ていた私は、ガキ大将の乗り回す自転車の前に立ちはだかって「自転車かえしなさーい。」と大声で連呼しました。他の女の子たちも私につられて、大声で叫ぶようになりました。

すると・・・公園近くにいた大人たちも、私たちやガキ大将一味のことを何度も振り返るようになったのです。これには、さすがのガキ大将一味も、ばつが悪くなって、とうとう、女の子に自転車を返しました。

この日、この体験を父母に話すと、父は私に「れいこは、正義感があるね。れいこは正義感があるから、弁護士に向いているよ。」と言ってくれました。

父のこの言葉にすっかり嬉しくなった私は「将来は、正義の味方の弁護士になりたい!」と思いました。

ただ、その後「弁護士さんには頭の良い人しかなれない。」という現実を突きつけられて・・・頭の良くなかった私は、この夢を諦めました。

地元の県立女子高校に進んでいた私は、学年の女子たちのほとんどが行く、「短大」に進学するつもりでありました。

しかし、受験勉強をしている渦中で、どうしても、幼いころに憧れた「弁護士になる夢」が、心の中に沸々と湧き上がってきてしまいました。

そこで、短大の他、1校だけ、4年生大学の法学部を受験しました。

そこが、創価大学の法学部でした。

最高に運が良いことに、1校だけ受けた創価大学の法学部に合格できました。

私は、そこで、司法試験(弁護士になるための国家試験)への挑戦を開始しました!

元々、頭が良いわけではない私は、司法試験への挑戦は、想像以上に、過酷なものでした。

​何度も、何度も、不合格となりました。

しかし、とうとう大学卒業5年目の26歳の秋、晴れて司法試験に合格することができたのです!

​<弁護士として>

弁護士になってからは、当時まだまだ少なかった女性の弁護士として、1000人以上の女性たちから、離婚相談・離婚調停・離婚訴訟のご依頼を受けました。また家庭裁判所の調停委員としても、家庭内紛争の解決にあたってきました。

沢山のご夫婦の離婚を見てきた経験、また私自身もプライベートで離婚を体験していることから、「離婚」のもつ一つの家庭が壊れていく悲しみというものを、人一倍、痛切に感じられるようになりました。

そこで、夫婦関係の「修復」をしていくための研究等を種々行い、「夫婦関係の修復のための相談」に力を入れるようになりました。

夫婦円満関係の構築、パートナーシップの形成は、幸福な人生を創るうえで、極めて重要な事柄です!

しかし、学校では、教えてもらえません。

多くの男性たちは、ほとんど学ぶ場所がないまま、本番の「結婚生活」に飛び込み、そして当然のように結婚生活の中で、大なり小なりの壁にぶつかります。

しかし、男性たちがこのような壁にぶつかったときに相談できる先は、皆無なのです。

悩みを持った男性が、男友達に相談しても、飲み会の雑談として終わってしまいます。

また自分の父親に相談したとしても、世代が異なるために、有効な解決策は示してもらえません。

だからといって、同世代の女性の友人に会って相談すると・・・夫婦関係が微妙な時に、女性と二人っきりで会っていたということになり・・・、妻に知れるところになると、それこそ致命的な傷にもなりかねません。

こうして、多くの男性たちは、修復の方途も見つけられないまま、なすすべもなく「離婚」という破局に至るのです。

しかしながら、男性たちが、なぜ夫婦関係が円満にいかなくなっているのか、その原因を理解し、解決のための適切な方途を実行していけば、夫婦関係は劇的に改善します!

男性たち、勇気を出して幸せの方向へ歩みを進めましょう!

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